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ムアンマル・アル=カッザーフィー



ムアンマル・アル=カッザーフィー, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=16944 / CC BY SA 3.0

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ムアンマル・アル=カッザーフィー(アラビア語: معمر أبو منيار القذافي‎, muʿammar ʾabū minyār al-qaḏḏāfī, 1942年6月7日 – 2011年10月20日)は、リビアの軍人、革命家、政治家で、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(社会主義人民リビア・アラブ国)の元首。
称号は「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の最高指導者及び革命指導者」(زعيم وقائد الثورة في ليبيا, zaʿīm wa-qāʾid al-ṯawrah fī lībiyā, ザイーム・ワ=カーイド・ッ=サウラ・フィー・リービヤー)、「敬愛なる指導者」(الأخ القائد, al-aḫ al-qāʾid, アル=アフ・ル=カーイド)。
1969年のリビア革命によって政権を獲得後、2011年に至るまで長期にわたり独裁政権を維持したが、2011年リビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カッザーフィー派部隊によって殺害された。
日本では一般にカダフィ大佐という呼称で知られている。
1993年から2009年まで1リビア・ディナール紙幣や50ディナール紙幣に肖像が使用されていた。
カッザーフィーの名称は世界各国で実に多様な綴りで表される。
アラビア語リビア方言での一般的な発音に随うならばガッダーフィ(Gaddafi)であり、アルジャジーラ等ではこの表記を採用している。
カッザーフィー自身は、1986年にアメリカの学校に宛てた書簡では El-Gadhafi と署名している。
しかし彼の公式ウェブサイトの各言語版では El Gathafi, Al Gathafi など複数の表記が見られる。
国際連合安全保障理事会では「カダフィ、ムアンマル・ムハンマド・アブミンヤール(Qadhafi, Muammar Mohammed Abu Minyar)」名で本人特定をしている。
日本では「カダフィ大佐」という呼び名が一般的である。
特に新聞などのメディア報道では「カダフィ大佐」という呼称がされている。
明仁天皇とカッザーフィーが慶事等で祝電、答電を送り合う場合、日本語では「リビア国革命指導者カダフィ閣下」と表記され、彼自身の公式ウェブサイト(#外部リンク参照)日本語版でも敬称は「閣下」である。
日本の新聞報道では、1969年から1977年までは「カダフィ革命評議会議長」、1977年から1979年までは「カダフィ全国人民会議書記長」、1979年に一切の公職を退いてからは「カダフィ元首」「カダフィ国家元首」「リビアの国家元首カダフィ前書記長」などと表記されていた。
しかしリビアは公式には「直接民主制」(ジャマーヒリーヤ)を標榜しているために政府や国家元首は存在しないことになっている。
このためか、1985年あたりからは「リビアの最高指導者カダフィ大佐」と表記されるようになった。
読売新聞は、2011年リビア騒乱以降、彼本人が「もう軍人でも大佐でもない」と言っているとしてそれまで使用してきた「リビアの最高指導者カダフィ大佐」の表記をやめ「リビアの最高指導者カダフィ氏」と表記している(2011年2月19日東京本社版朝刊国際面より)。
カッザーフィーが「大佐」(العقيد, al-ʿaqīd, アル=アキード。英訳: colonel)と呼ばれている理由については諸説がある。
いずれの説でも、カッザーフィーが敬愛するエジプトのガマール・アブドゥル=ナーセル大統領が「陸軍大佐」であったからそれに倣った、という点は一致している。
なお、リビアの事実上の国家元首が軍の中堅幹部階級である「大佐」であることに違和感を覚える向きも多い が、リビアは建前上は「国家元首」の概念そのものを否定しているのであり、リビアの国家元首をあらわす称号が「大佐」だというわけではない。
当然ながら、リビア軍には大佐より上の階級(将官)も存在し、軍の司令官であり士官学校時代以来のカッザーフィーの友人であるアブー=バクル・ユーニス・ジャーベルは准将(عميد, ʿamīd, アミード)である。
1942年、カッザーフィーは、リビアの砂漠地帯に住むベドウィン(アラブ化したベルベル人のカッザーファ部族)の子として、スルトで生まれた。
ムスリムの学校で初等教育を受け…