軽井沢に唯一残された石畳の小道。幸福の谷(ハッピーバレー)。
ハッピーバレーの別荘地には、川端康成やオノ・ヨーコの別荘(小野家別荘)。

昭和12年7月から9月まで藤屋旅館に滞在していた川端康成だが、有名な『雪国』で文芸懇話会賞を受賞。その賞金1000円で桜の沢一三〇七番の別荘(現存せず)を外国人宣教師から譲り受けた。
そして小説家・堀辰雄が、代表作「風立ちぬ」の終章「死のかげの谷」を書き上げたのが、ハッピーバレー。1937年(昭和12年)の年末、その年に川端康成が購入した別荘に堀は滞在し執筆。
「私の借りた小屋は、その村からすこし北へはいった、ある小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、ーなんでもそれらの別荘の一番はずれになっているはずだった。そこに夏を過ごしに来る外人たちがこの谷を称して幸福の谷と云っているとか」(堀辰雄『風立ちぬ』最終章「死のかげの谷」)。
昭和16年に第二次世界大戦が激しさを増すと、川端康成は桜の沢一三〇五番の別荘を故国に帰るイギリス人宣教師から買い求めて、こちらに移転(第二別荘)。堀辰雄もこの年、スミス山荘を購入。
行き方:旧軽銀座からテニスコート通りで軽井沢会テニスコートへ。突き当たりを右、すぐ左でオーディトリアム通り(室生犀星旧居方向)へ。矢ヶ崎川を渡り、3つまたのいちばん右の道をシーモアハウス方向へ。

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