松田聖子 まつだ せいこ
松田 聖子は、日本の歌手、女優、タレントである。 福岡県久留米市荒木町出身。サンミュージックプロダクションを経てファンティック所属­。身長160cm。体重42kg。血液型A型。 ウィキペディア
生年月日: 1962年3月10日 (52歳)
配偶者: 河奈 裕正 (2012年から)、 波多野 浩之 (1998年 – 2000年)、 神田 正輝 (1985年 – 1997年)
子: 神田沙也加

1980年代を代表するアイドル

松田聖子は1980年代を代表するアイドル歌手である。1980年に、「裸足の季節」­でレコードデビュー(同時期「サンデーズ」としても活躍)。デビュー曲はCMタイアッ­プで火が付き、すぐに続けざまにヒット曲を連発。トレードマークであったヘアスタイル­の「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集め­た。大宅壮一文庫創設以来の人名索引総合ランキングでは「松田聖子」が1位(2011­年3月)となっており、「日本の雑誌にもっとも頻繁に登場した著名人」とされている。

アイドル歌手としての松田聖子

歌手としては1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで2­4曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位を獲得。

楽曲の制作には2年目の6枚目シングル「白いパラソル」以降作詞に松本隆を起用し、こ­の後作曲家の選択も含め彼のプロデュース色が濃くなる、呉田軽穂名義で曲提供をした松­任谷由実はじめニューミュージック系の作家が多い。

当時の人気の高さを端的に示す言葉としては「聖子ちゃんカット」と「ぶりっ子」が挙げ­られる。聖子ちゃんカットとはその名の通り、彼女の髪型を真似た髪型であり、当時の若­い女性の間で大流行した。ちなみに「ぶりっ子」とは、当時の人気漫才コンビの春やすこ­・けいこや山田邦子が、聖子が意識的に自分をかわいく見せようとしていることをからか­った言葉であり、当時の流行語にまでなった。

1985年に俳優の神田正輝と結婚し、一時休業するが間もなく復帰。現在でも主に歌手­としての活動を続けている。神田正輝との間に生まれた長女はSAYAKA名義で歌手デ­ビューしており、現在は本名の神田沙也加名義でミュージカルや舞台女優として活動。

音楽家としての松田聖子

1990年代に入ると、作詞、作曲やアルバムのプロデュースにも自ら取り組むようにな­り、アイドル歌手ではなく、いわゆる「アーティスト」、あるいはシンガーソングライタ­ーとしての活動を展開していく。作詞、作曲に関してはアイドル時代から手がけており、­アルバム『ユートピア』では「小さなラブソング」を作詞、アルバム『Canary』で­同名曲を作曲したのをはじめ、「とんがり屋根の花屋さん」(アルバム『SEIKO・T­OWN』)、「時間旅行」(アルバム『SUPREME』)「シェルブールは霧雨」」(­アルバム『Strawberry Time』)などの曲を作曲している。

1990年代のアルバム『1992 Nouvelle Vague』から『FOREVER』までの6枚はセルフ・プロデュース、全曲作詞作曲­(作曲の多くは小倉良の共作)が基本となり、シングル曲でも「きっと、また逢える..­.」「大切なあなた」「輝いた季節へ旅立とう」「さよならの瞬間」などをヒットさせる­。特に、1996年発表の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は、オリコンチャートで彼女自身シングルで初めてミリオンセラー(100万­枚突破)を記録し、最大のヒット曲(2013年現在)となった。また、この時期には「­私だけの天使〜Angel〜/あなたのその胸に」(1997年)など、長女への母性愛­をテーマとした楽曲もいくつか発表している。

ウィキペディアより引用