平家物語にみる仏教思想

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坂東武者、熊谷次郎直実は、平家追討の一方の旗頭として活躍し、頼朝からも「日本一の剛の者」と評されたほどの人でしたが、平家を西国に追う
馬首を一転、法然上人のお弟子となり、蓮生房と生まれ変わりました。
木曽義仲の参謀として名を馳せた覚明も、親鸞聖人のお弟子、西仏房と新生しています。

頼朝の直臣であった、佐々木三郎盛綱が親鸞聖人のお弟子となる際の心情が、吉川英治の小説に語られていますので、一部抜粋していみましょう。
「武者の生涯ほど、一刻一刻が、真剣で血まみれなものはない。五十余年は夢の間だった。なんであんな血なまぐさい生涯を、獣のように働いてきたのか。人を斬っておのれが生きる道としてきたか。果たしてそれが、国家のため、民くさのためだったろうか」
「怖ろしい、浅ましい。人は知らず、自分の腹の奥底を割ってみれば、そこには華やかな武者の道があって、ひたぶるに、君家のおんためという気持ちもあったが、何よりも自分を猛く雄々しくさせていたものは、領地や位階であった、出世の欲望だった」
「領地が何か、位階が何か、あさましや、おれはこれで釣られて、一生を屠殺で送ってきた」
三郎盛綱は、今まで何をしてきたのか、という空虚感と、こんな者が一息切れたらどうなるのか、の不安な心に驚いたのでしょう。
本当の幸福を求めて親鸞聖人の元に馳せ参じています。

「大命まさに終わらんとして悔懼こもごも至る」(大無量寿経)
“臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる”
名だたる戦国の武将も、例外ではなかったようです。
「難波のことも夢のまた夢」との秀吉の辞世の句からは「なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか」と後悔のため息が聞こえてくるようです。
財と権勢に囲まれた華やかさに心を奪われてしまい、終幕の人生にならないと気づかないことなのでしょう。
それを幸せなことに人生の道半ばで知らされ、仏縁を結んだ武将の尊さが知らされます。

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1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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