『葵 徳川三代』16話~20話 🍀🍀🍀 Aoi Tokugawa Sandai (2000) Full HD
『葵 徳川三代』(あおい とくがわさんだい)は、NHKで2000年1月9日から12月17日に放送された39作目の大河ドラマ。
概要
1998年4月2日、NHKは2000年の大河ドラマは『葵 徳川三代』に決まったと発表した。放送2年前の発表は当時としては異例の早さであり、海老沢勝二会長は「初のハイビジョン大河に向けて早めの対応をした」と述べた[1]。
豊臣秀吉の死の翌朝から、江戸幕府を樹立した徳川家康・秀忠・家光の3代の治世を、関ヶ原の戦い、豊臣政権の消滅、朝廷との関係、幕府成立の過程を中心に描く。初期は戦国ドラマ、中期と末期は政治劇の要素が強くなる。放送年である西暦2000年が関ヶ原の戦い(西暦1600年)から400周年に当たることから、第1回は「総括関ヶ原」と銘打って関ヶ原の戦いをダイジェストで放送し、第2回から13回まで関ヶ原に至る内容を遡る形で描かれた。関ヶ原の戦いの合戦シーンは多額の制作費をかけた映画並みの迫力となり、映像や甲冑は史実再現性も高い。CGが効果的に使われたことも特徴である。大河ドラマ初の全編ハイビジョン作品[2] 物語の中期と末期は政治劇の様相が強く、歴史書並に「○○がM月に亡くなった」云々など細かい事項まで取り込んでいる。劇中の解説は中村梅雀演じる徳川光圀が担当した。第2回の登場シーンに表示されたテロップ「明暦三年(1657年)」は光圀が『大日本史』編纂に着手した年である(ただし、大日本史の記載範囲に本作の時代は該当しない)。
主人公がリレー形式となるのは、1993年から1994年にかけて放送された『炎立つ』以来となる(ただし、『炎立つ』のように複数部に分けた構成とはなっていない)。家康が主人公の作品で省略されがちであった家康の生母(於大の方)の死も描いた珍しい作品でもある。ただし、脚本のジェームス三木は、実質的な主人公は家康と家光に挟まれて影の薄い秀忠であるとノベライズ版の終盤に書いている。実際、家康は人生の晩年しか描かれておらず、秀忠の死は最終話の1話前であり、家光が単独で主人公となるのは最終話のみで嫡男家綱の誕生までがダイジェスト的に描かれるのみである。
家康はアクの強い強面と強烈な肉親愛を兼ね備えた人物、秀忠は父親と妻の板ばさみになる人物(閨房[注釈 1]での会話場面が多い)、家光は情緒不安定な人物として描かれている。
主演の津川雅彦、西田敏行をはじめ、岩下志麻、江守徹、小川真由美、夏八木勲、細川俊之、小林稔侍、西郷輝彦、宇津井健、佐藤慶、樹木希林、草笛光子、山田五十鈴等ベテラン俳優陣の演技がドラマを盛り上げ、20世紀最後の大河ドラマに相応しい重厚さと風格を示した。1950年代以前に生まれた俳優が大河主演を務めたのは2022年現在本作が最後となっている。
光圀の与力である「助さん・格さん」は女優が演じた。これは「戦国時代に比較し、光圀の時代の武士は骨格が華奢になっていた事を表現するためである」とジェームス三木は語っている。なお、大河作品で女性が男性を演じたのは本作が初めてではなく、『太平記』における後藤久美子(北畠顕家)の先例がある。
家康を演じた津川雅彦は、家康の癖であると伝えられている「爪を噛む」仕草として、「嫌らしく見せよう」と噛んだ爪を近習が持ってきた懐紙の上にプッと吐き出す芝居を頻繁に演じたが、視聴者から「食事時に気分が悪い」と抗議が続出した。これに対し津川は「行儀云々を言う前に、テレビを見ながら食事をするのを止めたらどうだ」と反論した。だがこの抗議にNHK側が折れ、まず「プッ」という吐き出す音が消され、やがて爪を噛む演技自体が封印させられた[注釈 2]。15話では家康のかかった病について解説した際、「寸白」「口から虫を吐く」といった表現が用いられたため、光圀が「失礼。お食事はお済みでござったか」と述べるシーンがある。
音楽は岩代太郎が手掛けた。オープニング映像は戦闘を強調するものではなく(戦闘の描写は中盤に少し登場するのみ)、春夏秋冬を表現して、時の流れを表現するものとなっている。群馬県利根郡利根村(現・沼田市)の吹割の滝、奈良県宇陀市の瀧桜、日光東照宮などの風景が使われている。
あらすじ
慶長3年8月18日(1598年9月18日)、太閤豊臣秀吉は巨万の富と幼い遺児・秀頼を残しこの世を去る。五大老筆頭・徳川家康は自らに権力を集中させてゆく。
これを阻止しようとする石田三成との対立が生じ関ヶ原の戦いに至る。
家康の孫にあたる水戸光圀は父祖の正しい歴史を伝えるべく、秀吉の死後から徳川三代の物語を語る。