弘中綾香アナ「慶應中等部は記念受験のつもりでした」人生で一番勉強した小学校時代を語る

「人生で一番勉強した」という中学受験を振り返って、今思うことは? 6月28日発売のAERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』、中学受験や中高時代の思い出について語った。

中学受験に挑む子たちのモチベーションはさまざまだ。「絶対にこの学校に入りたい」とがんばる子、親の期待に応えたいと思う子、受験勉強そのものが楽しい子。弘中綾香さんは「あきらかに、塾での成績を上げたくて努力する子でした」と笑う。

 中学受験をするかどうか、深く考えた記憶はない。「姉が受験したから自分もするんだろうな」と、小4の4月から大手進学塾に通い始めた。

■慶應中等部は記念受験でした

 第1志望は、地元の神奈川にある女子校だった。「といっても『絶対にここがいい』と思ったわけではなく、どちらかといえば母に誘導された感じ(笑)。私自身は『校舎がきれいだし、セーラー服の制服がかわいいし』くらいの気持ちでした」

 それでも一生懸命勉強したのは、テストの成績で席順やクラスが変わったり、模擬試験の上位者の名前が冊子に載ったりすることが、ゲーム感覚で楽しかったからだ。

「小6の4月には『一日も休まずに勉強する』と決めた記憶があります。量をこなさないとできないタイプだったので、休日は一日12時間以上勉強しました。あんなにがんばって勉強したのは、人生であのときだけですね(笑)」

 成績が伸びたこともあり、併願校の中に慶應義塾中等部を加えることになった。2月1日に受験した第1志望には無事合格。弘中さんは、ウキウキと「記念受験」に臨んだ。

「筆記試験はめちゃくちゃリラックスして受けました。でも2次試験は体育……。私、運動神経が本当に悪いので『これは落ちたな』って」

 しかし、予想に反して合格。もちろんうれしかったが、周囲の「当然、慶應に入るもの」という空気に戸惑った。

「ずっとめざしていた第1志望に合格したのに、なんで行っちゃいけないの?という違和感はありました」

 それでも慶應に進むことにしたのは、母への恩返しになると思ったからだ。「生意気かもしれないけれど、子ども心に『お母さん、がんばってるな』と思っていたんです。塾の送迎や食事の用意、過去問のコピー。支えてくれた母の期待に応えたかったし、『慶應なら大学受験もないからお母さんに負担をかけなくてすむ』とも思いました。結果的に、慶應は私に合っていたのでよかったんですけどね」

■応援団長も女子力仕事も女子

 入学した慶應中で、弘中さんは小さなカルチャーショックを受けることになる。クラスの半数を占める内部進学生には、生粋のお嬢さま、お坊ちゃまが少なくないと知った。

「隣の席の子に『どこに住んでいるの?』と聞かれて『川崎だよ』って答えると、キョトンとされちゃったんです。『都バスと山手線しか乗らないからわからない』と。おお、きみたちは多摩川を電車で越えたことがない人たちなんだね!って(笑)」

 それでもみんな同じ中学生。心の垣根はすぐに取り払われ、一気に仲よくなった。そして「人生でもっとも楽しい3年間」と言い切る慶應義塾女子高校での青春時代が始まった。

「大学受験がないので、高校3年間をみっちり自分の好きなことに使えました。部活、課外活動、習い事、みんな打ち込むことを持っている人ばかり。濃い時間を過ごしました」

 弘中さんは、学校行事にとことん熱中する高校生だった。

「女子校なので、応援団長も女子、ベニヤ板を切るのも釘を打つのも女子。みんなの個性や得意が融合したとき、すごいものができあがる。『私たち、やればできるじゃん!』って、共学だった中学時代にはない達成感がありました」

 その感動が、テレビの世界で働く今につながっている。

「番組にかかわるすべての人が、自分の役割を責任を持って果たすとき、すごいものができあがる。私ってこういうことが大好きなんだって、今も日々実感しています」

 だからこそ、勉強漬けになった小学生時代については、一片の後悔もないという。

「中学受験の3年間があったから、高校の3年間があった。でも、子どもによって勉強するベストな時期は違います。受験に迷っている人は、『この子はいつ勉強するのが向いているのかな』という視点で見るといいかもしれません」