【1964年の東京オリンピックに向け・・・変貌する首都】
<この動画には一部のみ音声があります>
1964年の前回のオリンピックに向けて、東京はインフラ整備が急ピッチで進み、景色が大きく変わりました。多くの道路、鉄道、建造物などが生まれた当時の映像を、シリーズで公開します。
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1962年に撮影された東京です。
上空からの日本橋付近の映像では、野村証券の通称“軍艦ビル”が確認できます。
江戸橋ジャンクションは建設中です。
銀座・数寄屋橋交差点の映像では、外堀川の埋め立ては終わっていて、1968年に晴海通りから姿を消す都電がまだ走っています。
不二家のペコちゃんの大きな看板は、東京オリンピック前後の数年しか見られなかったものです。
2017年に解体されるソニービルが建つのは、五輪後の1966年。
数寄屋橋とソニーの縁は1957年に登場したこの電光の広告から始まりました。
高度経済成長を迎えていた東京は、慢性的な大渋滞に悩まされていました。
1959年に東京オリンピック開催が決定すると、交通網の整備は喫緊の課題になります。
東京五輪招致の決意を語る東龍太郎都知事
「Q.オリンピックを東京に招いた知事として、東さんの考えを聞かせてください。
これはもうオリンピックを東京に招いたんですから、東京オリンピック大会を空前の、いままでないような、立派な大会にしたい。
しかし同時にですね、大会を成功させるだけでなく、大会を東京でやったということによって東京都がね、非常によくなるというふうにしたい。
オリンピック関連道路っていうものの建設は、東京都としては、一番大きな仕事になってるわけなんですね。
これを間に合わせなかったら、やはりオリンピックの開会、運営に大きな支障が来てオリンピックの成否が、成功かどうかっていうことにも、影響するわけですから、これは東京都としてはと何としても、オリンピックに十分に間に合うように、道路を完成しなきゃならんと。
そういうつもりで今、急いでいるわけです」
映し出された3枚地図には、高速道1号線、環状7号線、そして放射4号線が記されています。
オリンピックに間に合わせるため、東京のあちこちに槌音が響きます。 ※この映像にはナレーションはありません。ご了承ください。
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