Hōjō Masako, (born 1157, Izu Province, Japan—died Aug. 16, 1225, Kamakura), wife of Minamoto Yoritomo (1147–99), the first shogun, or military dictator, of Japan. She is said to have been largely responsible for Yoritomo’s success, and after his death she assumed great power.
Masako fell in love with Yoritomo when he was exiled from the capital by his family’s rivals, the Taira clan, and put under the watch of Masako’s father. She persuaded her father to allow her to marry him, and later she aided Yoritomo in his conquest of Japan.
After Yoritomo’s death (1199), Masako became a nun. In 1204 her oldest son, Yoritomo’s successor Yoriie, was assassinated. His brother Sanetomo, Masako’s second son, succeeded him as shogun; real power, however, was exercised through the post of regent, which was held by Masako’s father, Tokimasa.
The next year, an attempt was made on Sanetomo’s life, but Masako saved him. Tokimasa, who was implicated in the attempt, was deposed, and Masako’s brother Yoshitoki became the new regent, with Masako exercising considerable indirect power. When Sanetomo was assassinated in 1219 by one of Yoriie’s sons, Masako and her brother had an infant great-grandson of Yoritomo set up as a puppet shogun. She continued to dominate the government until her death, her power being so great that she was called the ama (“nun”) shogun.
【吾妻鏡】
皆心を一つにしてお聞きなさい。これが私の最後の言葉である。
故右大将軍が朝敵を征伐し、関東を草創してから、官位といい、俸禄といい、その恩はすでに山よりも高く海よりらも深いのだ。
恩に報いようという志が浅くはありませんか。
しかるに今回、逆臣の讒言によって、道義に反した綸旨が下された。名を惜しむ者は、早く藤原秀康・三浦胤義らを討ち取り、三代将軍の眠る、この鎌倉の地を守りなさい。
ただし院方に参ろうとする者は、ただ今申し出るとよい
【承久記】
お前たち、聞きなさい。私は、これほど、若いころから物思いの絶えない者はございません。
一番には姫御前(=長女大姫)に死に遅れ、二番には大将殿(=夫源頼朝)に死に遅れ、その後、また続いて左衛門督殿(=長男・二代将軍頼家)に死に遅れ、またほどなく右大臣殿(=次男・三代将軍実朝)に死に遅れました。
四度も辛い思に、私はもういっぱいです。
今度、権大納言(北条義時)が打たれれば、五度の辛い思いをすることになる。「女人五障」ということが『法華経』にあるが、これを言うのであろう。
お前たちは、都に召し上げられて、内裏大番(宮中の警護役)をつとめ、雨が降っても日が照っても、清涼殿の前庭にしき皮をしいて、三年の間、故郷を思いやり、妻子を恋しく思っていたのを、
我が子である大臣殿(三代将軍実朝)が、ひとつひとつ、じょじょに、おつとめが免除されるようにしてくださった。
であれば、お前たちが京方について鎌倉をお攻めになることは、大将殿(頼朝)、大臣殿(実朝)二人の御墓所を馬の蹄に蹴らせなさるものであるので、御恩を受けていらっしゃるお前たち、武士の道において神仏の加護がありましょうか
かく申す私などが深山に隠棲して、流す涙を、不憫とはお思いにならぬのか。
お前たち、私は若い頃から物の言い方がきつい者でありますぞ。京方について鎌倉を攻めるのも、鎌倉方について京方を攻めるのも、思うままに仰せられよ、お前たち