最近、餃子に開眼した。長く(多分20代の頃から40年くらい)上手に焼けなかったのだが焼けるようになった。これは嬉しい。諦めないで練習を続けることだ。市販の冷凍品や既に焼かれているものなどより遥かに美味しい。お店の人だって、生まれたときから上手に作れたわけじゃない。
多くの野菜(キャベツと白菜)を中華包丁で刻む。肉と叩いてパテにする。生姜を入れる。ニンニクはいれないことが多い。ニラは高いので入れない。終始強火で焼く(これが知らなかった)。水が飛んだら、濡らした台拭きで焼きを止める(これも知らなかった)。What You Don’t Know Won’t Hurt You(人生知らないことばかりでもへっちゃらさ)。後片付けも皆自分でやる。いつか一人で人生に向き合わなければならない。自分の健康は人頼みにしてはならない。僕の食事療法は素材から食事を作るというプロセスを大事にすることだ。家族も元気になる。母には間に合わなかった…..。It is never too late to mend.
餃子の皮を包むときは「しりとり」をする。昔からの風習だ。もう子どもと一緒に包むことはないが、両手がふさがっているときは一人しりとりである。一人でやってももすぐに「ン」がついて負けるはなぜであろうか。馬鹿なのか?
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僕は正真正銘の2型糖尿病の患者。高血糖は食事に対する身体の当たり前の反応だ。そして、単なるマーカーでしかない。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を呼んでいる。この「病(と医者の呼ぶ災厄)」は食事の反映でしかない。
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